【秩父行脚放浪記】〜草たべてます…〜

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とある昼下がり治療に来た患者さんが唐突に

「何たべてるんです⁉︎」聞かれたので…

 

「草たべて生きてます…^ - ^」

 

ちょっと前に羽虫が飛び始め、

それを眺めながら冬眠から醒めて

絶賛ヒマあくび中、

ちょうどいいので畑やキコリに精をだしてるはるぴょんです♬

 

そういえば僕の今の住処、治療院、お泊まり所のある秩父吉田は明治初頭の『秩父事件』の中心地として比較的有名

 

知ってる人は知ってる幕末〜明治の出来事

日本を取り仕切る出来たての明治政府に

一地方地域の「秩父」の方々が「重税が嫌になったので…払いません!」と楯突いた

 

「モラトリアム」も楯突かれても困るので

明治政府は熊谷や立川など方々から兵隊さんを大挙させてヤッチメに「秩父」へ来たものの…

 

吉田を中心にしたファンキーでロックな方々は忍者のようにあちこち隠れレジスタンス

映画として近年に『草の乱』で描かれた

 

吉田には『秩父事件』有志として活動した方々のお墓が各地に点在する

 

人によっては追われに追われ、逃げに逃げ

名前や、住処を変えに変え

北海道まで行って、骨になって、

また吉田に葬られたワンダーな人物もいる

 

まるで齊藤一のように

 

五稜郭の戦い』で江戸東京から北海道へ

船に乗って幕政立て直しを図った榎本武揚さんや徳川慶喜さんのように

 

割と信じられないスケールで

移動距離と人生物語を描いた方々

 

旅行が全く一般的でなく

土地に一所懸命に根付いて生きる人が

圧倒的多数であった時代

 

よその地域へ、ましてや山越え海越え

土地勘ないだろう土地から土地へ

何らかの志しや魂レベルのレボリューションに燃えたか

体験の上の蓄積である異能や特殊技術、知恵をもって世の人知れずひっそりと駆けずり回った方々

 

そんな方々の血や地の繋がりのある人々が

今も吉田にいるだろうと

治療やふらりトレッキングしながら

問診や立ち話ついでに聴いて回っている

 

そんな行脚の道すがら

住処のある地域は『コグレ(小暮)』と呼ばれるので

「なんでだろ⁉︎」と気になって

 

すぐ南に今はソーラーパネルが設置された小高い台地に

『小暮城跡』のマークがGoogle mapでも出てくる

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これは行かない手足はない!ある!

と冬眠明け早速ぬけぬけと踏査に赴く

 

近隣住民には当たり前のように知られていた『小暮城跡』は

ソーラーパネルの設置工事に先立って平成11年に教育委員会により一度調査され

何らかの教育・観光的な施設建設の声もあった中

「何も出なかった」と…

(何か出てきても困るだろうと)さっさと盛り土とパネル設置が速やかに行われたそう

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『小暮城跡』の南北に菱形◇の区割り

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その真ん中に立つと…

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裏の「浅間山」が何故「浅間」なのか⁉️

 

ここに何故城跡があるのか⁉️

なるほど‼️

 

歴史学や考古学の体験に基づいた行動と形態の認知科学

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ピカピカっとワンダーな推測と物語を描く

 

アドベンチャートレッキングして

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中世戦国時代らしき積み石の石垣も

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◇真北に城峰山

◇真南に武甲山

◇真西に浅間山(なんでここに「浅間⁉︎」が城跡の真ん中でわかった)に日沈む

◇真東に日上り、水流れ下り、人来たる

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風水、地脈、水脈、日月星観測、狼煙中継地、山岳信仰、龍穴、街道筋…これほど揃う(⁉️)って、パーぺきな立地^ - ^

 

歴史文献にない『小暮城』…

ここにいた人々はどんな役割を担った人たち⁉️

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名もなき人々…

草の人々…

草…

 

そういえば歴史文献などで『草』といえば

「忍び🥷」のことを意味する

別の記述では『透波(すっぱ)』『かまり』『らっぱ』があったりする

一般的な兵隊に比して特殊兵

「忍び」的な生きる技能者たち

 

☆『秩父事件』の『草』はそれを暗示しているような

☆吉田は南北と東西の交通路のT字上の要所

☆『上町』のクランク上の道路(川越にもある)

☆上がり下がりの坂が入り組む

☆城峰から流れ吉田川になり赤平川と交わり江戸東京へ流れ下る(今の言い方では上る)荒川になっていく

☆地理上でも南北と東西への情報連絡の交点(龍勢祭りで有名な「ノロシ」や馬次を使って)

 

すでに☆が6つも❗️

 

☆古代〜中世の城跡と言われる地域が地理上で南北に並んでいる(竜ケ谷城、砦跡、秩父氏館跡、名倉館跡)

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7つ星☆

 

さらに歴史資料の『後北条氏書状(資料名たぶん笑)』に出てくる西の甲斐から攻めていらした武田さんをパーぺきに防いだ『吉田の盾』は、どーも人も合わせた地域全体を要害として示した言葉だったような

ファンタジーヒストリー

 

 

忍びとは名もなき、顔なき、正体知れずの人々

 

住み始めた時に人がほとんど居ないと勝手に思い込んでいた吉田(旧吉田町)の住民は現在6000人ほど

 

昨日の『小暮城跡』踏査の時の道すがら

畑で石取りして「黒豆つくるんだよ〜!」などと90分ばかり立ち話した97歳の元気お婆様…

そのお婆様の息子さんが、なんといつかの飲み屋さんで勢いよくご馳走様頂きお世話になってる市議(議長っぽい)…

さらにその息子さんが昨夏にたまたま焼き肉さんで絡まれた…

 

全く関係ない別々の出会いの脈絡が

縦と横の糸になったように

 

吉田の城と白(白山神社もすぐ南に!)と「忍び」…

ヒマなので、ゆったりぴょんぴょん行脚したり

「忍耐・忍耐・忍々忍!」言って…

引き続き今の吉田の人々に「忍び」の気配を観て回ろうと決意新たに❗️

 

と良いつつ、明日の深夜から日曜日まで

南房総は千倉『ゲストハウス千倉のおへそ』で行われる【スピリチュアルの館第二回】にぴょんぴょん流れて参ります^ - ^汗https://m.facebook.com/events/1332676880904510