【感情の木】

ここ数ヶ月いろんなとこで「人疲れ」という話しを耳にしていた。うんうん、そうなんだ〜。話しに耳を傾けながら…、で、なんでだろ?と考えていた。

f:id:haruhumi55:20211022181254j:image

先日20日の満月に照らされて、僕の中では…「気になる木」より「気に食わない木」に栄養を与えてしまっていたことにハッと気付く。

f:id:haruhumi55:20211022181309j:image

人と関わることでの当たり前にある違和感。それはどーなのよ⁉️という思いや勝手な思い込みから、エゴの考えがぐーるぐる。嫌だな、興味ないな、面倒くさいな、避けたいな、焦り、妬み、恨み…ないと思ってた、なくしたいと思ってた感情が自分にあった、ことも「見ないように」していた。

f:id:haruhumi55:20211022181317j:image

気の合う人、面白いい人、…ばかりでない。かつて中国の方に教えもらったこと、「日本人でも中国人でも、いい人も、そうでない人もいる」。

f:id:haruhumi55:20211022181534j:image

ただ感情は行動に結びつき、態度や言動に現れていて、人は見ていた、身近な人は見てくれていた。

自分が考えること言葉にして話すことは自分が1番聞いて影響をうけているから。自分でも気付かないくらい疲れていた部分がある。

 

感情ある人間として、ネガティブな感情はほぼほぼいいことないと知っていたものの…いつの間にか「見ないように放っておく」と対処法を誤り、自分や人間関係を傷つけていた。

 

自分で気付くものに、言動で教えて考えさせるように、そっと手を差し伸べてくれる人もいる。やわらかな心を尽くして。

 

森の中では、畑では自然が教えてくれる。

関わりの中で、人が自然に教えてくれる。

 

いつの間にかササクレだって草ボーボーに荒れ果てていた「感情の木」をまーるくお手当て整えて適切に水をあげていく。会話、対話、電波でのメッセージ、テレパシー…やわらかいコミュニケーションを大事にして調和をとり違和感を楽しむ。

f:id:haruhumi55:20211022181426j:image

トレッキングや旅の道すがら出会う風、山、森、名木、おじいさんやおばあさん、イベントの参加者や道行く人々が光のような在り方でほっこり教えてくれていたこと。

f:id:haruhumi55:20211022181356j:image

やる・やらないの間、自由・不自由の間、勝手と自由の間で直感的にバランスとって、違和感にやわらかいコミュニケーションをし、「感情の木」に目を向け水をやり、今また目の前の道を進む。

f:id:haruhumi55:20211022181347j:image

未開の畑を開拓しながら…森に学びながら、人であり、人間であり、生きていることに想い及ぶ。

じゃあ、どんな人間でいたい?

 

今のとこ………⭕️

 

感謝して、この度は、この旅も未完成。